江畔寺 花の寺めぐり 十二支詣り 第四番札所 辰巳年(普賢菩薩)

創建・沿革

『開基』

佐竹九代貞義の三男義春が緒川流域一帯の領地を与えられ上小瀬に居城を築いて
小瀬氏を称する。

義春は剃髪入道し城地大手門前に小瀬一族の菩提寺として小庵を営む。義春死後西
側山上に化身仏として将軍地蔵菩薩を祭祀し開基となす。

『開山』

義春の三男悟真妙頓が夢窓疎石を招請開山となり 南内山 孝槃寺と称する。

『沿革』

水戸藩の管轄となり袴田善兵衛栄斎が江畔寺と改字。
徳川三代将軍、家光公より御朱印、寺領、寺内を賜り上小瀬村の檀家寺となる。
徳川光圀公が当山に参籠したおり門前の緒川にて斎戒沐浴された。以後この地一帯を
御留渕と称し立ち入り禁止地域となった。
古作地蔵菩薩が当山へ寄進される。
明治政府により当寺境内を残し寺領を全て取り上げられる。

第四十二世、洞門和尚の尽力により旧寺有山林を戻し檀家を復檀させる。

茨城県知事認証のもと宗教法人となり現在に至る。

茨城・花の寺十二支巡拝、江畔寺を含む宗派を超えた八ケ寺で共催
横井悦秀、第四十四世住職に就任

円覚寺は、鎌倉五山第二位の寺格に位置づけられた臨済宗円覚寺派大本山です。
1282年(弘安五年)鎌倉時代後期、時の執権・北条時宗が円覚寺建立を発願し、
開山は当時中国の宋から招かれていた無学祖元禅師です。 創建の翌年には鎌倉幕府の祈願所と定められ、七堂伽藍、塔頭四十二院の規模だったといわれます。

その後、幾たびかの火災などで衰退した時期もありましたが、江戸時代終わりごろに大用国師が僧堂や山門の伽藍を復興され、同時に宗風の刷新をはかり現代へと続く礎を築かれました。鎌倉唯一の国宝建造物に指定されている舎利殿は、円覚寺境内の奥に無学祖元禅師の塔所で、全国からの雲水が修行する正続院と呼ばれる塔頭の境内にありますが正月三が日以外は非公開となっています。

円覚寺舎利殿
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